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【映画】-29 『ブレードランナー2049』満を持して封切のSF金字塔続編

 

※この記事は、映画の内容について重要なネタバレを含みます。ネタバレを好まない方は映画を見た後お読みください。

 

予告を見て待ちかねていた『ブレードランナー』続編を見てきました。

www.bladerunner2049.jp

初版から、35年の時を経て公開された続編は、ファンにとってはまさに"待望"と言ってよいでしょう。

私は、残念ながらリアルタイムを経験していない層ですが、後続のSF作品に多大な影響を与えた前作からどのような新たな指針を示すのか、興味深く足を運びました。

 

ブレードランナーとは?

そもそも『ブレードランナー』がどういった作品かを知らない層が大半だと思います。

(私自身、現在25才であり前作公開当時はこの世に影も形もありません)

2019年11月のロサンゼルス。環境破壊により人類の大半は宇宙に移住し、地球に残った人々は人口過密の高層ビル群が立ち並ぶ大都市での生活を強いられていた。宇宙開拓の前線では遺伝子工学により開発されたレプリカントと呼ばれる人造人間が、過酷な奴隷労働に従事していた。しかし、レプリカントには製造から数年経つと感情が芽生え、主人たる人間に反旗を翻すような事件が多発する。レプリカントは開発したタイレル社によって安全装置として4年の寿命が与えられたが、後を絶たず人間社会に紛れ込もうとするレプリカントを「解任(処刑)」する任務を負うのが、警察の専任捜査官「ブレードランナー」であった。
タイレル社が開発した最新レプリカント「ネクサス6型」の一団が人間を殺害し脱走、シャトルを奪い、密かに地球に帰還した。タイレル社に押し入って身分を書き換え、ブレードランナーを殺害して潜伏したレプリカント男女4名(バッティ、リオン、ゾーラ、プリス)を見つけ出すため、ロサンゼルス市警のブレードランナーを退職していたリック・デッカードが呼び戻される。デッカードは情報を得るためレプリカントの開発者であるタイレル博士と面会し、彼の秘書であるレイチェルもまたレプリカントであることを見抜く。人間としての自己認識が揺さぶられ、戸惑うレイチェルにデッカードは惹かれていく。…

出典:wikipedia

本作でも引き続き重要な役割を担う、"ブレードランナー""レプリカント””デッカード””レイチェル”などのキーワードについて知るためにも、前作を事前に見ておく必要があります。

そもそも30年以上も前に公開された『ブレードランナー』の続編がここまで注目される理由は、この作品のSF界に与えた影響の大きさによるのでしょう。

movie.smt.docomo.ne.jp

未来の、ハイテクでありながら退廃的な世界観

ブレードランナー』以前が未来への希望にあふれた世界を示していたとすると、以後はテクノロジーや未来の負の側面も描くようになっています。

影響を受けたと考えられる作品は数多ありますが、例えば攻殻機動隊の街並みやマトリックスの荒廃した世界など、後続SF作品の世界観に影響を見ることができると思います。

この『ブレードランナー』にも原作があります。

フリップ・K・ディック(彼自身もSF小説界の先駆者で大御所です)の『アンドロイドは

 電気羊の夢を見るか?』が映像化にあたっての下敷きとなっています。

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))

 

 必ずしも、ストーリーは一致しませんが、世界大戦により荒廃した世界や人間と一見見分けのつかないアンドロイド、そしてアンドロイドと判別する方法とブレードランナーなど、キーワードは映画でも踏襲されています。

本作の"問い"は何か?

 前作における問い(メインテーマ)は、「人間を人間たらしめる要素とは何か?」であったと思っています。

レプリカントは、見た目で判別できない人造生物であり、それ故に特殊な方法によって(原作では“フォークト=カンプフ検査法” と呼称され、アンドロイドには見られない、生物への共感を図る方法として描かれていもます)、その差異を見分ける必要があります。

ただし、前作より踏襲されたアンドロイドの呼称、レプリカントは”replica(模造)-ant(人、もの)"を表しており、あくまでも人間とは異なる存在であること、その存在の虚偽性が示唆されています。

接尾辞 -ent, -ant の意味 - Gogengo! - 英単語は語源でたのしく

人間の利益のために生まれたレプリカントは、人間と同じような見た目・知能を持ちながら、人間の目的に基づき、自由を与えられずはかない命を全うするしかありません。

前作では、デッカードレプリカントとの死闘を通じ、人間・レプリカントそれぞれに与えられた運命の意味を投げかけてきました。

 

30年後を描いた本作では、レプリカントも進化しています。

最新型(ネクサス9型)および処分対象となっている旧型(ネクサス8型)は、共感能力という点では人間と差がなくなっています(その証拠に、彼らは生き物を無意味に殺したりしません)。フォークト=カンプフ検査法は、無意味になっており、旧型の判別にあたっては眼球のシリアルコードを確認することとなっています。

 前作では、”生物への共感”が人間とレプリカントを隔てる要素でしたが、進化したレプリカントとの間ではさらに限りなく差異がなくなっているといえます。

 

本作では、さらに「出産や生殖による自己増殖」という究極的なテーマも描かれています。

こうした、差異の融解を通して、問われているのは、

人間とレプリカントにおいて差異が極限まで見られなくなる中で、その違いを生じさせているのは、その地位に生まれたという事実もしくは事実を認識していることではないか?

であると思います。

誰もが何者かでありたい

もう一つのテーマとして、「誰もが特別な何者かになりたい(がほとんどはそうではない)」というメッセージが織り込まれています。

本作では、Kがネクサス8型の処分を進めていくうちに、自分自身の出自について疑問を持つシーンがあります。自分は何者なのか?実は特別な存在なのか?そうではないのか?

SF好きとしては、理想を追い求め、何か未来や可能性に期待する気持ちがあると思いますが、本作は真正面からこれらの期待を砕いてきます。

 ごく一握りの特別な存在のために、名もない大衆が存在するという現実を突きつけるこの一連の流れは、特別な存在でありたいという一般庶民に向けた、痛烈なメッセージです。

 

デッカードに関する議論

 前作以来、「デッカードレプリカントか否か?」議論がなされています。

それについては、ハリソン・フォードが下記インタビューで示唆的なコメントを残しているほか、本作内でも様々な描写でその疑問を投げかけてきます。

 しかし、結局、本作を終えても明確な結論は提示されません。

一部では、「年齢を重ねているデッカードレプリカントではない」と解釈されています。実際、前作のネクサス6型は、4年の寿命であり、その後に登場したネクサス8型9型には寿命がありません。

果たして、デッカードレプリカントなのでしょうか?

個人的には、上記の年齢の件は説得力があり(単に俳優が年を取っただけですが…)、どちらかというとデッカード=人間説のほうがしっくりきています。

 

おわりに:本作はSF界に何を遺すか?

 前作、ブレードランナーは、SF界に多大な影響を与えたといってよいでしょうが、本作はどうでしょうか?

実は、日本より先行して上映されたアメリカではあまり芳しくない結果だったようです。

wired.jp

"カルト的"とも評されるブレードランナー信仰になかで、なぜ本作のスタートは順風満帆とはいっていないのでしょうか?

ブレードランナー2049』は、前作のビジュアル・テーマを踏襲しつつ、より暗くよりより重厚な世界を作り出しています。

ただ、本作を鑑賞して思ったのは、「目新しさがない」ということでした。

前作が、以後のSF的世界観を変えてしまうような数々のビジュアル表現を生み出したのに対し、本作はあくまでも前作やその後のSF的世界を踏襲した作品です。

新たな"ブレードランナー以後"を求めるファンにとっては、その点で目新しさに欠けたのかもしれません。

しかも、前作から30年を経ての続編。果たして、映画館で映画を見る層のどの程度の割合が、前作を見たことがあるでしょうか?SF好きでなければ、あえて前作を見てまで足を運ぼうとは思わないでしょう。

こうした時間的隔たりも本作に立ちはだかる壁となったのではないでしょうか?

 

とはいえ、『ブレードランナー』も封切から人気を博した作品ではなかったようで、むしろ長い年月をかけて現在の地位を築いたようです。そのため、この30年の間に何種類もの修正版が出されています。

ブレードランナー2049』も同じように、長い年月をかけて評価を得る作品となるかもしれません。

実際に何を遺したかは、のちに振り返ってみなければわからないということだと思います。

 

 

 

 

 

BLADE RUNNER 2049 (SOUNDTRACK) [2CD]

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